コラム
心身を壊し退職した仕事仲間の想い出
メンタルヘルス

優しさは時に、重荷になるのではないのか。心身を壊し退職した仕事仲間の想い出

小野田さんは、31歳という年齢の割に若く見える。というより、幼く見える女性だった。
見た目が実年齢より若々しいという意味ではない。年齢的には成熟した大人の女性であるにも関わらず、顔立ちや全体の雰囲気が、まるで子供のようなのだ。

朝のスタッフミーティングで、彼女が新しいレセプショニストの仲間だと紹介された時、意外に思った。
私たちが働く美術館では、現場のスタッフは2種類に分けられる。主にチケットの販売や案内係を担うレセプショニスト(受付スタッフ)か、展示室での見張りを担当するガードだ。

小野田さんのように、見るからに大人しくて他人と話すのが苦手なタイプは、通常は本人がガードを選ぶか、採用担当のマネージャーがそちらを勧める。だからてっきり、彼女はガードとして採用されたのだと思っていた。

後に聞いたところによると、小野田さんは自ら「レセプショニストの仕事をしてみたい」と、強く希望したそうだ。
理由は分からないが、その時は単純に「この子もアリサちゃんと同じで、社会復帰のリハビリ組なのかな」と思っていた。

アリサちゃんとは、私たちレセプショニストの中で唯一20代の若いスタッフで、元引きこもりである。
働き始めた当初は、同僚ともお客様とも目を合わせられず、消え入るような小声で接客をしていたアリサちゃんだったが、やがて仕事に慣れるに従って、別人のように堂々としていった。働くことを通じて自信をつけ、やがて2年も経つころには、すっかり頼れるスタッフに成長したのだ。
それは、私たち30代〜50代の年長スタッフが根気強く彼女を見守り、サポートをしながら褒めて伸ばした成果だった。

アリサちゃんという成功体験があったからこそ、「きっと小野田さんも大丈夫だろう」と、私たち受け入れ側のスタッフは楽観していた。
30歳を超えているとはいえ、小野田さんだってまだ若いのだから。

慢性的な人手不足に陥っている地方の公立美術館では、仕事に適性がなさそうだからと言って、応募してきた人材を不採用にしたり、辞めさせたりする余裕はない。
そもそもいくら求人を出したところで、滅多に応募がないのである。

美術館の仕事というと聞こえはいいので、1990年代後半に開館したころは、若いスタッフがそろっていたそうだ。けれど、少子高齢化と過疎化が進んだ現在では、レセプショニストの主力は40代から50代で、ガードにいたっては50代から60代が9割を占める。

仕事自体は難しくないのだが、何せ給料が安いので、アリサちゃんのように何らかの理由がなければ、若者はまず応募してこない。

多少条件が悪くても若者たちが求人に殺到した時代や、「代わりはいくらでも居る」と、未熟なスタッフを簡単に切り捨てた時代は、地方では一足早く終わっていた。

小野田さんの場合は、「何らかの理由」があるのは明らかだった。何よりもまず、まともにコミュニケーションが取れないのである。
挨拶や返事はきちんとするのだが、何気ない世間話ができない。経歴にも不明な点が多すぎた。

「小野田さんは、ここに来る前は何の仕事をしていたの?」

と聞いても、

「いえ、私なんて、何も…。ちょっと働いて、専門学校に入って、またちょっと働いて、また専門学校に入って。って、繰り返してました」

マネージャーによると、小野田さんの履歴書の学歴と職歴の欄は、びっしり埋まっていたらしい。
それを見ただけでも就労が難しそうな人であることは分かるのだが、こちらはすでに現場のシフトが回っておらず、人を選べる立場ではない。例え難しい仕事はできないにせよ、展示室の受付に座っていてくれるだけでもありがたいのだ。
小野田さんは週5日フルタイムの勤務を希望してくれたので、彼女が入ってくれることで、他のスタッフのシフトにはゆとりが生まれるはずだった。実際には逆になったのだが…。

レセプショニストの仕事は、業務内容が多岐に渡り、覚えることが多く、臨機応変な対応力が求められる。
しかし、「新しい情報を覚える」ことと「状況に合わせて臨機応変に対応する」ことは、小野田さんが最も苦手とすることだった。

小野田さんが「困った人」としてスタッフの間で噂になるまで、ほとんど時間はかからなかった。
まず第一に、レセプショニストにも関わらず、彼女には接客ができなかった。

「いらっしゃいませ。本日は企画展をご覧になりますか?常設展のみになさいますか?セット券になさいますか?」

と、マニュアル通りのセリフは言えるのだが、

「ねえ、お姉さん。僕たち観光で来たんだけど、地元の名物料理が食べられるお勧めの居酒屋を教えてくれない?」

などとイレギュラーな質問を受けると、うつむいて黙ってしまい、そのままいつまでも固まってしまう。お客様を怒らせることもしばしばだったが、謝ることもできなかった。

特に困ったのは、終業時の締め作業だった。
閉館時間が来たら、展示室の入り口にポールを立てる。
チケットの半券を種類別に揃えて数を数え、来場者の合計人数を計算し、スタッフ間の申し送り用のノートと、総務に提出用のレポートに記入する。
金庫を閉め、翌日の準備をする。

たったこれだけのことができず、閉館時間がとっくに過ぎて、館内の電気が落ちて真っ暗になっても、小野田さんはまだ仕事を終えられない。
ようやくバックオフィスに戻っても、今度は勤務表の書き方が分からない。残業時間の計算ができないためだ。

小野田さんが働き始めて最初の1ヶ月は、マネージャー達から叱られたり注意をされることが多く、現場スタッフの間でも評判が落ちる一方だった。そんな中で、
「もしかして、小野田さんは発達障害かグレーゾーンの人で、サポートが必要なんじゃないですか?」
と、言い出したのは私だ。

他人と関わろうとしない小野田さんだったが、一度だけ私に話しかけてきたことがある。
展示室の受付に座っていた私に、どうやったら周りと同じようにできるのか尋ねてきた。

「締め作業って、何時からどう始めたらいいのか分からなくて、マネージャーに怒られてしまうんです」
「だいたい、展示室が閉まる30分前から始めるといいよ。もうその時間にお客さんが来ることはほとんど無いんだから」

彼女はいちいち頷きながら、私が発した一語一句を書き留めていた。
驚いたのはここからだ。小野田さんはそもそも、通勤に何を着ればいいのかも分からないと言う。

言われてみれば、小野田さんは毎日おなじ格好をしていた。黒のリクルートスーツに白いブラウス、黒いパンプスにリクルート鞄。
ぱっと見は、これからどこかへ面接に行くか、役所勤めをしている人のように見えた。

「えっ?私たちには制服があるんだから、私服は自由でいいんだよ。みんなそれぞれ好きな格好をしているでしょ?」
「自由…」
「ジーンズにTシャツでも大丈夫よ」
小野田さんは、やはり私の話したことをもらさず書き取りながら、ただただ困った顔をしていた。

余計なお世話かと思ったが、小野田さんに障害の疑いを持った私は、さっそく自治体が発行している「発達障害の人と共に働くガイドブック」をダウンロードして、現場のリーダーとマネージャーに共有した。
こちらが小野田さんの特性を理解し、適切なサポートさえすれば、一緒に働いていくことができると考えたからだ。

小野田さんのサポート体制はすぐに組まれた。

彼女が総合受付のポジションに入る時は、隣のポジションに入るスタッフがフォローする。展示室の受付に1人で入る時は、レセプショニストであれガードであれ、彼女が見える位置にいるスタッフが常に気を配る。難関だった締め作業は、現場リーダーかマネージャーが一緒に作業をすることになった。
負担は増えるが、文句を言うスタッフはほとんど居なかった。みんな戸惑いながらも、小野田さんを支え、共に働く仲間として受け入れようと努力していたのだ。

それなのに、気づけば小野田さんの髪は不自然に薄くなっていた。ストレスで髪を抜いてしまうのだ。
きっかけはコロナだった。

サポート体制が組まれたことで、小野田さんも1年がかりで最低限の仕事はどうにかこなせるようになっていた。ところが、彼女がせっかく仕事を覚えたところへ、コロナ対策のため仕事のやり方がガラリと替わってしまったのである。

もともと変化への対応が苦手な小野田さんは、ある日とつぜん受付内で鋭い叫び声をあげたかと思うと、そのまま「具合が悪い」と言って、休憩室に引っ込んでしまった。
そこからはなし崩しだった。

頭髪は見るも無惨な状態になり、仕事中も絶えず小声で独り言をつぶやき続けるなど、明らかに精神状態がおかしいのだ。
それを気づかったスタッフが声をかけたり、仕事を手伝おうとすると、「何で私ばっかり!」と、感情を抑えきれず怒り出すようになった。

もうお手上げだ。

美術館の指定管理を請け負っていた企業には、当然のように産業医が居て、休業の制度もあったが、それを利用できるのは正社員だけである。私たち現場スタッフは有期契約労働者であり、心身の不調で仕事ができなくなれば辞めるしか無い。
現場のリーダーとマネージャーに、支配人を交えて何度も面談が行われ、小野田さんの契約は更新されないことが決まった。

それはもうどうしようもないことであったが、引っ掛かりを覚えることが1点あった。
「まずは医者へ行き、診断書を持ってきて欲しい。その上で、ご家族とお話しをさせていただきたい」という支配人からの要望に、顔色を変えた小野田さんが、
「親にだけは絶対に連絡をしないで欲しい」
と、言い募ったのである。

もしかして、小野田さんはご両親から障害を認めてもらっていないのでは?
そんな疑念が頭をもたげた。
だからといって、私に何ができると言うわけでもない。積極的に手を差し伸べようとしてきたスタッフも、迷惑そうだったスタッフも、皆がそれなりの善意をもって、これまでできるかぎりのサポートをしてきたのだ。けれど、もしかすると小野田さん本人にとって、過剰な善意や手厚すぎるサポートは、プライドを傷つけるものであったのかもしれない。
彼女は子供のように見えても、子供ではなかったのだから。

「レセプショニストだから無理があったのよ。ガードだったら、まだ何とかなったのかもしれなかったのに」
「ああいう人は、無理に話しかけようとしないで、最初からそっとしておいた方が良かったんじゃないの?」
「だいたい、あの子の親がおかしいよね。私だったら娘の髪があんなに薄くなっているのに、仕事に行けなんて言えないもの。家庭に問題があるんじゃないかな」

皆がなんとなくいたたまれない気持ちで、それぞれの思いを口にしたが、いずれにせよ時すでに遅しである。
私たちがアプローチを間違えていたとして、今さら時間を巻き戻せない。

小野田さんは誰にも何も言わず、こちらからも声を掛けられないまま、ひっそりと姿を消した。
彼女が辞めた後は、意識してかせずしてか、もう誰も小野田さんの名前を口にしなかった。

その後、彼女はどうしただろうか。
ストレスの元である仕事を辞めたことで、病状は落ち着いただろうか。
状態が悪くなってからの彼女にどう声を掛けてよいのか分からず、別れの挨拶すらできなかったことが、今も気にかかっている。

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〈マダムユキ〉
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